人生音痴

新婚生活。迷子になるから、手を引いていてね。

家事の負担を考える

はてなブログから「前回の更新から1ヶ月たったけど元気か」という旨のメールが届いた。マメな男である。

 

久しぶりすぎて、どんなスタイルで文章を書いていたのかも忘れている。
マメ男はてなブログからのメールをきっかけに、久しぶりにブログのアプリを立ち上げた。このままこのブログを書き続けたいが、140字に収まるものは全てツイッターに書き散らかしてしまうのでなかなかネタがない。こうやってブログを始めては消し始めては消すループにはまって行くのだ。

 


今回は、家事について書こうと思う。

わたしは10時〜17時のパートタイムで事務仕事をしていて、夫は正社員で働いている。家計費は夫が8割わたしが2割と言ったところだろうか。
夫は水周りの掃除は得意だが、これまでずっと実家で暮らしていたため、そのほかの家事はほとんどしたことがない。わたしは一人暮らしが長かったため、ひと通りのことはできる。
そのため、たまの水周りの大掃除と夕飯の片付けを半分夫がするだけで、その他の家事はほぼわたしの担当となっている。そのことに文句は一切ない。家計費のバランスと家事のバランスがうまく取れているな、と、常々思っている。

 

しかし、それでも疲れるのだ。毎日の生活はまだまだ夢のように幸せだ。なのに、身体も心も疲れている。

 

先日、「疲れたため家事をボイコットする」という旨のラインを夫に送り、夜10時までのプチ(すぎる)家出を敢行した。
それから、自分は何にそんなに疲れるのだろうと考えてきた。

 

そして、考えが至った疲れの原因は、おそらく、家事は「休みなく考え、頭も気も遣う」から疲れる、というものであった。

朝起きてまず、お弁当になにを入れるか考え、朝のコーヒーはアイスにしようかホットにしようか、洗濯機を回すのに天気を伺い、洗濯物の溜まり具合を見て何から洗濯するか決め、いつどこを掃除をするか考え、ゴミ出しのタイミングを考え、仕事から帰ってきたら洗濯物を取り込み、ひと息つきながらも畳まれ待ちの洗濯物が目に入り、やっと畳んでも夕飯を作らねばならず、夫が帰ってくる時間になるべく合わせて出来立てを出せるようタイミングを見計らう。食べきったところで後片付け、自分の入浴。次の日のお弁当や夕飯をある程度考えてから、炊飯器にお米をセットする。
長くなってしまったが、これでもかなり抜粋し、炊事面はほとんど書いていない。平日のわたしの頭の中である。これが、自分の体調や時間の有無、やる気などにも左右されていく。

 

週末はどうか。わたしも夫も週末休みの勤務であるため、週末は家事も休ませてもらっている。大抵外食か買ってきたもの、もしくは簡単な調理でできるものを食べ、洗濯物は溜め、掃除もしない。
しかし、「そろそろご飯の時間かな」「なにを食べようかな」「お風呂場の掃除をそろそろお願いしようかな」などと常に考える。
また、いくら家事を休んだところで、それは解消されるわけではなく溜まるのみで常に自分への負債となっている。わたしは自分へのツケ払いで休みを買っているのだ。

 

結婚して、家事に責任を持つようになってから、なにかを選択する回数が格段に増えたと感じる。

 

家事が嫌いなわけではないし、働いて家計を支えるのに比べればプレッシャーだって少ないのは分かっている。

 

でも、それでも、やっぱりちょっと疲れちゃうのだ。


前後の予定や冷蔵庫の中身から一生懸命考えて作った夕飯に少し文句を言われるだけで、泣きたくなっちゃうくらい疲れるのだ。

 

だって、家事は出来ていて当たり前のものだから。

 

毎月のお給料があるわけではない。成績がでるわけでもない。ただでさえ頑張って維持しているのに、それが普通だから、褒められるには背伸びして頑張らなければいけない。

 

家事をメインに担当している人はきっと、家族が放置したゴミひとつにも責任を持っている。自分で捨てるなり、「ゴミ箱に捨ててよ」と本人に話すなり、そういう決定をしなければいけない。

 

だからって、家事の分担をもっとして欲しいとかそういうわけではない。強がりなんかじゃなく、分担は綺麗にされていると自分で惚れ惚れするくらいなのだ。

 

欲を言えば「美味しい」のひと言が欲しい。毎日の頑張りを認めて欲しいし、些細なことでも褒めて欲しい。
でもきっと、そういうことで全て解消されるようなものではなくて、自分の中でうまく付き合って行く方法を見つけなければならないのだ。

 

大好きな夫の身に付けるもの、食べるもの、住む場所の一切の責任を担うのは幸せなことに違いない。
だからこそ、この役割を守るために、細く長く続けるために、家事や自分の疲れとの上手な付き合い方を模索している。

 

それが息抜きすることなのか、手抜きすることなのか、または家出した時みたいに時々爆発しながら進むのか。

まだまだこれからも、わたしはもがきそうだ。