人生音痴

新婚生活。迷子になるから、手を引いていてね。

結婚して生きやすくなった話

結婚すると価値観の違いでケンカすると思っていた。


わたしの母は割と几帳面で、わたしの行動1つ1つを「大雑把ね」「詰めが甘いんだから」「全く、あんたらしい」と評価していた。

 

畳んだ洗濯物の角が合わないとき、物干し竿に均等に並んでいないとき、切り分けた野菜の大きさがバラバラだったとき、掃除機をかけた後にゴミが落ちていたとき、年賀ハガキの住所が曲がっていたとき、夏休みの宿題のポスターの色ぬり。

 

母親という存在は大きいもので、母が言うこと全てが「普通」の水準なのだと、それすらできないわたしは面倒くさがりで大雑把な人間なんだと思っていた。このままじゃだめなんだ、丁寧にやらなければ、と。

 

ひとり暮らししているときも、いつだって母の声が聞こえてくるような気がしていた。

 

それがわたしの行動の基礎にはなっていて、丁寧なやり方をきちんとできるというのは母のおかげだし、出来なくて恥をかくこともなく感謝しなければいけないな、とは思う。

 

でも、ただ、苦しかった。
母の言いつけ通りにできないことが、母の言葉に縛られていることが。何かにつけて、「全くあんたは大雑把なんだから」という声が聞こえてくることが。


自分が丁寧にしたくてすることと、怒られるからしなきゃ、と思いながらすることには大きな差があった。離れて暮らして怒られるわけじゃなくても、怒られる気がしていた。

 

 

夫は、わたしよりもずっと面倒くさがりやで大雑把な人間だった。
ゴミも捨てず、服は脱ぎっぱなし、片付けもしない。

 

最初は夫の後をついて回って端から片付けていたが、だんだん「この部屋はいくら散らかっていても見て見ないふりをする」「自分が片付けたいものだけ片付ける」と諦めが出てきた。

 

少し、大雑把に寛容になれたのだと思う。

 

ある時、封筒をハサミを使わずに指で開けながら、夫に「実家にいたとき、こうやって開けてたら『全くあんたは大雑把なんだから!』って怒られたんだよね」と話したら、「好きに開ければいいのにね。どうせ封筒なんて捨てるんだし!」と返された。

 

驚いた。

 

結婚して価値観の違いで苦労する覚悟はしていたけど、価値観の違いでこんなに救われる覚悟はしていなかったから。

 

社会は思ったより寛容かもしれないと気付いた。


普通だと思っていたことが、普通ではなかった。


「当たり前のことが出来ない」窮屈さを、「当たり前なんて一人一人違う」という気付きで打破できた。

 

やらなきゃいけないことが減って、やってあげようかな、と思うことが増えた。

 

やらなきゃいけないことが減って、自分がやりたいからやろう、と思うことが増えた。

 

 

夫のひと言が、毎日の生活が、がちがちの価値観を解いてくれている。

結婚して、いまわたしは、とても生きやすい世界に生きている。