人生音痴

新婚生活。迷子になるから、手を引いていてね。

わたしたちが夫婦になった話②結婚式

わたしは学生時代、結婚披露宴で音響や照明をするアルバイトをしていた。

結婚式に憧れがあったとかではなく、音楽好きだったから、音楽に関われるっていうだけで始めた。


しかし、当然のように「自分の結婚式ではこの曲を使いたい」「歓談中のBGMは明るくてアップテンポな方が似合うな」「お色直しが2回あると全然会場にいられないから1回にする」「ビールサーバーを担いで再入場はダサい」など、自分が結婚式をするときはこうしよう、という持ち駒は大量に増えていた。

 


夫はプロポーズ直後、結婚式はともかく披露宴は絶対したくない、と話した。それが結婚相手を決める条件の1つだと言うほどに。

 


ゼクシィを買ったとき、そこには「プロポーズ、婚約指輪、両親への挨拶、結納、結婚式、披露宴」という王道コースが描かれ、インターネットにはキラキラしたプレ花嫁たちがたくさんいた。

 


結婚式はするべきか。
プレ花嫁であるはずのわたしは、全くキラキラすることもなく、そこから考えなければいけなかった。

 


昔、弟が何かの受け売りで「姉ちゃん、他人が自分のために集まってくれるのは、生まれた時と、死んだ時、あとは結婚した時くらいしかないんだよ。結婚式はしたほうがいいよ」と話したことを何度も思い出した。

 

女の子どもはわたしだけである両親の顔も何度も浮かんだ。

 

学生時代に描いていた結婚披露宴のイメージもあったし、かけたい曲のCDだってたくさんたくさん持っていた。

 

しかし、毎月のように友達の結婚式に参加して、正直面倒くさくなっている自分の気持ちもあった。型にはまった消化試合のように時間が過ぎて行く結婚式に憧れを持つこともできなかった。醜い自分がドレスを着たところで大して…という気持ちもあった。

 


そして、わたしは両親に、「結婚することにした。結婚式は身内だけ。食事会くらいはしても披露宴はしないつもりでいる。」と話した。


両親には散々「本当にやらなくていいのか」「私達だって、あなたが友達に祝われているところが見たい」「ケジメだよ」などと言われ、何度も何度も泣いた。

 

ただ、夫を説得してまで、嫌がる夫を引っ張り出してまで、披露宴をやるほどの憧れも義務感も気力も財力も持ち合わせていなかった。

 

結局我々は、新婚旅行で2人きりでウェディングフォトを撮り、葬式で身内に会った時何も言われないで済むように身内だけ呼んで神前式と食事会をすることに決めた。

 


結婚式をする必要があるのか悩む人が増えているのだろう、ゼクシィや式場は必死に「感謝を込めて」やら「一生に一度」やら「わたしたちらしいウェディング」やらと煽りまくる。

 

それに惑わされて、ちゃんとした結婚式をすることが親孝行、それじゃあ自分は親不孝か、友達に感謝を伝えるには結婚式するべきなのか、お金をかけさせて何が感謝なんだ…などとぐるぐる悩む。

 

 

終わってようやく、「わたしたちは大正解な選択ができた」と感じる。

 

 

結婚は、確かに大きなライフイベントだ。
ただ、わたしたち夫婦には、そこに大げさなパーティーは必要なかっただけなのだと思う。

 

結婚式が終わったいま、父親は「いい形だったと思う。いまの時代、こういう結婚式が主流になっていくんだろうなぁ。」と話している。夫も満足げに「俺たちはいい結婚式をした。みんなにもこういうやり方を紹介したい」と言っている。わたしはそんな2人の様子を見て、大切な人たちが満足した人生になるように頑張ろう、といつだって決意を新たにできる。

 

盛大な結婚式をしたからってケジメがつくわけではない。ただ、結婚式について悩んで、いくつも選択することで、幸せになる覚悟を決めることができたのだ。